木下 洸希

滋賀県大津市在住

エピソード

親子3人で仲良く暮らす木下家に、10年前悲劇が訪れた。
父親の輝人さんが突然の病に倒れ、危篤状態になり緊急入院した。
病名は「若年性パーキンソン病」。
あのバックトゥーザフューチャーの俳優、マイケルJフォックスが苦しんだことで有名な難病である。
当時こうき君は3歳、輝人さんは何度か危篤状態に追い込まれ、入院生活を余儀なくされた。
身体を動かすことも、喋ることも不自由になってしまった輝人さんは、精神的にも酷く落ち込んでしまっていた。
そんな時に元気づけてくれるのは、まだ幼いこうき君の存在だった。
テニスが好きだった輝人さんは、見舞いに来るこうき君に、ボールを持たせ遊ばせていた。
するとまだ幼いこうき君は、実に器用にテニスボールをお手玉代わりに遊ぶようになった。
その時父親は、こうき君の才能を予感したという。
それからというもの、病床の父親を喜ばそうと、こうき君はお手玉遊びの技を練習した。
そしてその上達ぶりに輝人さんは喜び、病気と闘う元気をもらったという。
これが、天才ジャグラー少年こうき君の誕生秘話である。?
天才ジャグラー洸希くん!確かな実力と人気
2008年から本格的にジャグリングの練習に取り組むようになったこうき君。
病気の父親を喜ばせようと、みるみる上達をしていった。その上達ぶりは常人レベルではなかったという。
そして…2009年「近江八幡のAQUA21第8回のストリートパフォーマンスフェスティバル」に出場。大人中心のプロアマ・パフォーマー達を抑え、キャリア10カ月の10歳で、見事グランプリを受賞した。
その成果を認められたこうき君は、地元大津市の観光PR大使に任命された。
様々な場所でパフォーマンスするようになったこうき君は、地元滋賀県で加速度的に実力と認知度を高めていった。
2010年、第23回大津市文化奨励賞を、個人としては最年少11歳で受賞。
朝日小学生新聞の記事が、近畿圏内で小学校の教材として使用される。
2010国際児童青少年芸術フェスティバル滋賀県会場に小学生で参加。
2011年3月20日、21日と、文化庁伝統文化事業のこどもワールドフェスティバル県立文化産業交流会代表に抜擢。
5月、モザイク大道芸人コンテスト決勝に特別ゲストとして呼ばれる。
昨年の日本ジャグリング協会(JJF)の記録会では、5枚のリングを操る種目で日本記録を更新。日本記録保持者となった。

洸希くんの日常と活動

学校が終わると塾のあと毎日2時間はジャグリングの練習をする。本番前にはその練習量は更に増すという。
活動の中心は、老人ホームや障害者施設といった福祉施設での慰問ショー。
母親が車の運転と機材を担当、車椅子のお父さんが音楽を担当して、親子3人チカラを合わせて廻っている。既にその活動も120箇所以上になる。
5月4日には1万人が集まる彦根市のチャリティーショーに参加する。
洸希くんは現在、ジャグリングとダンスを融合させた
「ダンスジャグリング」を極め、マイケルジャクソン
の音楽にのせてパフォーマンスしている。

体の不自由なお父さんの車椅子をいつも押している
洸希くんは、両親にとってこの上ない自慢であり、
元気の素なのである。